2012年9月23日日曜日
西宮祭り
いつものごとく、御前浜に調査に行くと西宮神社がお祭りをやっていました!
下の写真のようにみこしを担いだ兄ちゃんたちが、浜の方にむかっているではありませんか。
海にいってみると、10隻ほどの船がでていて、何やら『うなぎ』やら『たい』やら魚の名前が聞こえてきて海の祈願をやっているようでした。
調べてみると下記のことが西宮神社のHPに乗っていました。
船に移したみこしを中心に、十数隻の供奉船・伴走船が新西宮ヨットハーバーを出港、西宮浜周囲を巡幸途中、御前浜に停泊して、船上にて「かざまつり」の古儀を斎行する他、産宮参船が神戸の和田岬へ渡り、ゆかりの和田神社・三石神社へ参拝します。
一年に一度、神社において最も重要なお祭である例祭(九月二十二日斎行)は、二十一日の「宵宮祭」、二十三日の「神輿渡御」と合わせて「西宮まつり」といいます。
西宮には古くから、
――鳴尾(西宮市鳴尾町)の村の漁師が、武庫の海(現在の大阪湾)で漁をしていたところ網にご神像を得ました。しかし漁師は魚ではなかったのでご神像をそのまま海に戻すことにします。その後、漁師は舟を和田岬(神戸市兵庫区)の沖に漕ぎ出し、再び漁を始めたところ、さきほど武庫の海に戻したはずのご神像がまた網にかかったではありませんか。これは不思議な事だと思い、漁師はご神像を家に持ち帰り、丁寧にお祀りすることにしました。
幾日か過ぎたある夜。漁師の夢に神様が現れ、「我はえびす大神である。ここより西の方によい土地があるので我を案内いたせ。」とのお告げを下されました。
漁師はさっそく村人を集めて、えびす様をお神輿に乗せ西に向けて出発しました。途中お神輿を留めて休憩をとりましたが、えびす様はそのまま居眠りをされてしまい、なかなかお目覚めになられません。これではいつまでたっても出発することができないと、困った漁師は恐れ多くもえびす様のお尻をつねってお起こしし、ようやく今の西宮神社の鎮座する地にたどり着きました。――
という素朴な伝承が伝わっております。
この伝承がいつ頃から伝わったのかは不明ですが、平安時代の末には和田岬へ神輿をお渡しする神事が行なわれていた事が見えており、平安期の公家中山忠親の日記『山槐記』や鎌倉期の僧一遍上人の事跡を描いた『一遍上人聖絵』から祭りの様子を窺う事ができます。
のちの戦国期動乱の中、織田信長の社領没収により中断を余儀なくされましたが、約四百年後の平成十二年に復興。そして今年第十回目を迎えました。
この期間は祭典だけでなく、各種催し物も奉納され、西宮の町を振るわせます。
(参考:http://www.decca-japan.com/nishinomiya_ebisu/nisinomiya_maturi.html)
今私たちが取り組んでいるRACES JrのGW活動で、とある学生が
『近年海が汚くなったり魚がとれなくなっているのは、人間の環境破壊だけではない。昔は海の神様を大事にしていた。それをしなくなったから神様が怒っているのだ!』と。
おもしろいことをいうな~っと思っているやさきにこのお祭りに遭遇したので、あながち間違ってないなと思いました!
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